みちのくに勿来の関もあるものをはや石となる我いかんせん
「石」についてちょっと思うところがあって、夜勤明けの冴えない頭でpertyさんにいろいろと質問していたのですけれど、これまた自分に深く関わることだなあと感じてこの際、書き留めておくことにしました。

セクシャルマイノリティの一種にlithsexual(リソセクシャル、リスセクシャル)というのがありまして、これは「性的な惹かれはあるけれど、その相手から性欲や性的関心を返してほしくない/返されると冷めてしまう」ような指向とされます。恋愛指向版はlithromanticといわれます。詳しい定義よりも、このlith(o)が「石」に由来しているところが、詩的で素晴らしいなあと感じる自分がいます。
メデューサにまつわる話などギリシャ神話には「神によって石に変えられる」というモチーフが繰り返し現れます。これはどういう意味なのだろうと気になって、pertyさんに情報提供と整理を依頼したのが以下です。
神話の「神によって石に変えられる」モチーフは、複数の意味が重なった象徴です。まず、神への不敬や傲慢、禁忌破りへの罰として、生きた存在を動けない沈黙へと固定する「神罰」として機能します。また、死や喪失を示すと同時に、「この岩はかつて○○だった」という物語を刻む記念碑となり、悲嘆やショックで心身が凍りつく状態の比喩にもなります。さらに、動く存在が最も静止した形態へ変身することで、時間から外れた永続性や聖別された在り方、越えてはならない境界を示す守護・警告の印としても理解できます。
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なんかこの「勿来の関」感とでもいえそうな境界的な雰囲気。神話や古典の「石」のまわりに重たいヴェールのごとくまとわりついているのが、言われてみるとよくわかるし、自分自身の性的・恋愛的指向の表現としてもしっくりきます。ちなみにlithsexualはその”一方向性”ゆえに、想像上の存在(たましい)や二次元キャラに惹かれる傾向(fictosexual/fictoromantic)と親和性が高いとされます。
そこでぼくは、このlith(o)の部分を「求められても返さない石のような」ではなく、「時間から外れた永続性や聖別された在り様指向の」と読み替えたいと思います。推しのアニメやアイドルを追う人々は、そこに何がしかの”永遠なるもの”や神聖性を投影しつつ追い求めているという点でlith的であるといえますし、レイヤーは違っても、たましいや女神に特別な思いを寄せるぼくだって、やはりそうなのです。
セクシャルマイノリティっていろいろ種別が乱立していて複雑怪奇にみえるけれども、じつはスペクトラルなもので、誰しもが類似の傾向を幾分かは胸の内に携えているのでは?と疑ってみたりします。なんだかこれも、粒子と波動の二重性みたいです。見なければ同じ、よく見れば違うけれども、もっとよく見ればじつは同じとか違うとかを超えてひとつなんじゃないか?的な。

それにしても、ぼくのたましいの嗜好まで時代に見抜かれてしまっているなんて、それこそちょっと勿来の関でも据えたくなる気はしますけれども。今は鶏の鳴き真似でもいいから、歌えるだけ歌うのみです。ぼくはただの石に終わりたくはないですし、かといって星になるつもりも更々ありません。ただ内なるハリー・ポッターのように、ポケットの石になんか目もくれず、石になったたましいの仲間のために立ち上がれたらカッコいいなあ!とは思っていますよ。思ってはおります。
ちはやふるぼくそのものやParthenōn石にはあらで意志でできてる
たましひとともに生かなむぼくはもうひとのかたちをしたParthenōn
パルテノンはアテナの宮です。アテナのもつアイギスについているメデューサの首も、その眼を見たものを石に変えるといわれています。いいですよね、アテナ。風の谷のナウシカ、巴御前、牧野つくし的な。しょせんぼくは石に変えられてしまった身。望むところです、たましいだけペタソス履いて、自由に翔びまわりますよ。宇宙は今も無限に広がり続けています。